TVアニメ「#平家物語」
第八話「都落ち」
フジテレビ「+Ultra」にてまもなく24:55〜放送
ほか各局でも順次放送
「雪の中わざわざここまで。でも姉も母も仏御前も、もう…」
びわは2話に出てきた祇王さん達がいる小さなお寺(京都の嵯峨にある祇王寺)まで猫ちゃん連れて来たのか。でも、祇王と仏御前とお母さまは亡くなり、今彼女と話してるのは祇王さんの妹で元白拍子の祇女か。切ねえ…
いくら武士とは言え、まともな戦を経験したことがあるのは清盛と重盛くらいなもんで、あとは貴族みたいな暮らししかしたことの無い連中ばかりだから仕方のない話なんだよなw
8話
粥を一杯食べるびわ、敵に一杯食わされる維盛。母を探し京を発ち、家族を置いて京を去るが水泡に帰すか。白粉を塗り、紅をさすも、源氏の白旗を赤く染めるに叶わず、平安と福原は炎に包まれた。燃え盛る火とは対照に平家の落日が物悲しい。落花は枝に還らぬと不退転の覚悟が雅趣に富む。
8話
「”今日”を旅立つ準備はいいかい?」と綴られる『光るとき』2番の歌詞は”京”と掛けた言葉であり、まさに”都落ち”であるこの8話を象徴する。
また
宗盛の扇子が落ちる=”倶利伽羅の戦い”
帝の鞠が落ちる=”都落ち”
と同じ構図で2場面の”敗”を映す描写もあり、平家の衰退を一層感じる1話。
8話。木曾義仲に巴御前、教科書で見たやつだー。豪放野生児の義仲に、ナイーヴな維盛では勝負にならず。いよいよ京を追われ都落ちする平家、自業自得かもしれないが、一人一人はただ家族や兄弟を思い平穏を望む人々だという事実が哀しい。父親と同じ目に遭うのを恐れないびわは強い子だね。
「#平家物語」8話、びわは母らしき浅葱の方を訪ねて越後へと向かったが、着いてみると浅葱の方は夫の城太郎助長が急死し京に戻ったという/木曽義仲討伐に向かった維盛は倶利伽羅峠で壊滅的な大敗を喫する。平家一門は安徳天皇を引き連れ京を出て福原に逃れ、さらに大宰府へと逃れていく
8話感想
琵琶法師の髪と源氏の白旗が重なり魅せる平家の負け戦。
衰えゆく流れの中にいるからこそ見える人間溢れる描きが実に良い
そんな崩れゆく平家の中で徳子の
“帝のいるところが都”
という台詞
帝の行方(=平家の結末)を知ってるからこそ感じる無常。
されどその徳子の姿に希望を見る
見てる。
CV水瀬いのりの手を取るCV悠木碧を別作品で見たので、この作品ではCV悠木碧の手を取るCV水瀬いのりという逆の構図が生じてて、ちょっとニヤけてしまってたw
コメント
いよいよ平家の転落が・・・ここから先はもう切なく悲しい展開しかないのがほんとつらいよなあ
だけど、だからこそ美しい、歴史を経ても生き残ってる物語なんだよなあ
いうて壇ノ浦の合戦とか実際にはなにが起きたかほとんどわかってないんだけどな
『平家物語』にかかれている壇ノ浦の戦いのようすは
物語が完成したとされる時代の少し前におきた
南宋滅亡のさまを参考にしたという説が濃厚
>南宋滅亡のさまを参考にしたという説
誰が言い出したんだよ…どうせ中国人だろ?
南宋滅亡自体は壇ノ浦の戦いから94年後の事なんだぞ
前後関係で言えば、南宋滅亡となる崖山の戦いの伝承そのものが壇ノ浦の戦いを参考にしたとされてもおかしくないね
そもそも壇ノ浦の戦い自体が、同時代に源氏側によって執筆された『吾妻鏡』においても記録されているし、当然その中には安徳天皇と平時子の死についても含まれている(崖山の戦いにおける陸秀夫と衛王趙昺の入水死はその94年後)
まあ確かに
吾妻鏡には
「元暦二年(1185)三月大廿四日丁未。長門国赤間関壇浦海上に於て、源平相逢い、各、三町を隔て舟船を艚ぎ向う。
平家五百余艘を三手に分け、山峨兵藤次秀遠ならびに松浦黨等を以て大将軍と為し、源氏之将帥于挑戦す。
午剋に及び、平氏終に敗れ傾く。二品禪尼宝剣を持ち、按察局先帝を抱き奉り共に以て海底へ没す。」
これしか書いてないので、物語にするために色々盛ったのはわかるけど
残念ながら、南宋滅亡の崖山の戦いは1279年で
1240年にはすでに「治承物語(平家)」というものの存在が確認できるし、吾妻鏡にもその部分の後に誰々が入水とリストアップされてるので、崖山の戦いを元にしたいうのは「そういう説もある」という程度で、ちと苦しいのだ
8話補足いろいろ。
・作中年代
今話は前話の続きで1181年春から、時間飛んで1183年夏まで。
ただし時間軸を少し変えている。義仲が挙兵したのは、本当は頼朝の挙兵直後、1180年だが、わかりやすいので文句なし。
義仲が「やるぞー」と言った次の京のカットから1183年。維盛があごひげ、資盛も口ひげを生やしている微妙な変化で時間経過を示している。
維盛の北陸出陣が1183年4月、倶利伽羅峠の大敗が5月、平家都落ちが7月。
・木曽義仲たち
義仲:「にっしっし」の野人。
維盛より5つ上。
源頼朝のいとこだが、親同士が殺し合ってる間柄なので仲良しということはまったくない。兄弟みんな仲良しの平家と正反対なのも源平合戦の面白いところ。
正式には源の次郎義仲。木曽谷で育ったので木曽義仲、また朝日村というところで育てられたという説もあり、平家物語では朝日将軍とも呼ばれる。
仲家という兄がいたが、以仁王の乱に参加し宇治の戦闘(5話)で討ち死にしている。
「源平盛衰記」では「眉目形はきよげにて美男なりけれども、堅固の田舎人にて、あさましく頑なにおかしかりけり」と、「見た目はいいのに態度で台無し」という表現をされている。
今井兼平:顔に横傷のある人。姓は中原。義仲の乳兄弟であり義仲四天王と呼ばれるうちのひとり。他の三人は青、赤、緑の服を着ていた連中だろう。(樋口兼光、根井光親、楯親忠)
※この樋口兼光の子孫が戦国時代の上杉家に仕えた直江兼続
中原兼遠:「よくぞ申された」のじいちゃん。上の今井兼平、樋口兼光の父親。
巴御前:日本で最も有名な女武者。「吾妻鏡」などの史書、当時の人の日記や書類には記述がなく軍記物にのみ登場する人物。
「平家物語」ではそういう女性が義仲のかたわらで戦ったと書かれている程度だが、後に書かれた「源平盛衰記」ではあちこちの戦に出て、宇治川で畠山重忠と戦い義仲と共に撤退する際には武者二人をかかえこんで首を獲り、生き延びて源平合戦後に鎌倉に出頭し和田義盛の妻になり91歳まで生きたと、盛りに盛られている。女戦士はみんな大好き。特に義仲に最後まで付き従ったというところが人気ポイントだろう。ほぼ同時代の女武者「板額御前」が不遇なのは恋愛色のなさかと。
人気ありすぎて「巴の墓所」があちこちにある。
・墨俣(すのまた)川の戦い
1181年3月に起きた戦い。豊臣秀吉の一夜城エピソードの墨俣とほぼ同じ場所。交通の要衝なので取り合いになるのである。
作中では「頼朝には墨俣川の戦いで勝利したものの」と言われていたが、実際は頼朝とは別行動をとっていた叔父の「源行家」による挙兵。
それを鎮圧に出向いたのが平重衡。前年末に南都を焼き討ちし2月に清盛が死亡し葬儀を終えてこちらに出陣と大忙しである。
戦闘は、数に劣る行家軍が夜に川を渡って奇襲をかけたが、水に濡れているやつが敵だと見抜かれ大敗。参陣していた頼朝の弟(義経のすぐ上の兄)義円はじめ源氏方の武将が多く討ちとられている。
なおこの頼朝の叔父さん「源行家」、歴史的に見ても珍しいほどの戦下手、こいつが兵を率いると必ず負ける逆チート能力持ちである。
・城資長(じょう・すけなが)
越後平氏と呼ばれる一族。
保元の乱で清盛と共に戦いその後は越後をがっちり押さえていた、有力な平氏方の武将・・・だった。
木曽義仲の追討を命じられた際に「甲斐・信濃両国においては、他人を交えず、一身にして攻落すべき由」(援軍なぞいらん我らだけでやったる)と自信満々。
だが出陣直前に卒中で死亡。これは史実。
その際に天から声がというのは平家物語の脚色。
1181年2月末にこの人が亡くなった後、弟が軍を率いて義仲と戦ったが(横田河原の戦い、6月)、兄ほどの軍才はなく義仲の奇策にはまり大敗。義仲は越後に出てそこから北陸、京と攻めこんでゆくことになる。
この人の妹に、巴御前と並んで有名な女戦士、「板額(ばんがく)御前」がいる。こちらは「吾妻鏡」にも名前が出てくる。
城氏はこの後没落。越後は北条氏の一族である名越氏が治めることになり、北条氏が消えた後は、南北朝期の新田義貞を経て、上杉氏が守護となって戦国時代へ。こちらはこちらでやはり栄枯盛衰、諸行無常。
・維盛の北陸遠征
義仲は、木曽から中山道ルートで攻めてきたわけではなく、上の城氏を打ち破った勢いで日本海側に出て、そこから北陸へ勢力を広げていた。(史実ではその前に一度関東に出たりもしてかなりウロウロしている)
資盛もちょっと言っていたが、「燧ヶ城攻略」、「三条野の戦い」「安宅の関攻略」と途中までは連戦連勝であった。
・維盛と一緒にいた人たち
平行盛(ゆきもり)、清盛の次男(重盛と宗盛の間。24歳で病死したためこのアニメには登場していない)の息子。宗盛に似たサル顔の方だろう。
平忠度(ただのり)、清盛の弟。目にクマのある方(多分)。異母弟なので宗盛とは違う系統の顔にしたのではないかと推測。
・都落ちと維盛の家族
妻、新大納言局。息子、高清(六代)。娘、夜叉御前。
妻と子供たちはこの後、寺に隠れる。
「鎌倉殿の13人」でも頼朝挙兵時に妻の政子たちは寺(神社)に隠れた。この時代の神社仏閣は、とにかく政治主張して暴れるだけではなく、そういうシェルターとなる場所でもあった。だからこそ、そういう場所である寺を襲い焼いた平家の行動は「悪行」とされやすい。
びわの母親の存在が出たか……ただ白拍子の繋がりになると源氏の武将にも居るんだよなぁ、白拍子を愛した武将……因みにこの方も色々と伝承がある方ですね、有名なのが中国大陸に渡り遊牧民としては初めて中国を統一したあの方とか。
(明智光秀も実は生き延びていて出家していた説もあるからね……本当にこの手の逸話が多い)
出た!北条家を天下に導いた“女傑”
戦争って兵力の数で決まるとは限りませんね……本当に、これは現代の戦争にもいえるんですよ、戦場に居る兵士の気力で決まるってね。
>戦争って兵力の数で決まるとは限りませんね……本当に、これは現代の戦争にもいえるんですよ、戦場に居る兵士の気力で決まるってね。
わかる限りの記録から戦術的に見ると、兵数差が生きない山中で戦ったこと、そこを戦場にすることのできた義仲の戦巧者ぶりが光ります。
また、義仲の四天王のひとり樋口兼光は別働隊を率いることのできる能力があり、彼の部隊が倶利伽羅峠でもその前の戦いでも、勝敗を決する重要な役割を果たしています。
個人的に強いというだけではなく、こういう部下を持てたことも義仲の強さでしょう。
一方の平家軍は、実際のところは維盛の下にいた三人の侍大将がそれぞれ主導権を争いまた富士川で負けている維盛を侮っていたそうで、まとまりに欠け、それゆえに柔軟な兵の運用もできず、敗れるべくして敗れたと言えます。
今話は、上でも書いた時間ジャンプを、さりげなく違和感なくやってるのが本当に上手かった。
知らなければまったく問題なく一連の出来事として見ることができるように構成されている。原作改変かくあるべし。
あと、ずっと京だったので、違う場所へ行ったのが新鮮。
最後に出てきた静御前(たち)の袴が、これまでのこのアニメにない色合いで美しかった。
大事な裏話忘れてた
・斎藤実盛
6話で、維盛に「東国武士はこんなに強い連中ですぞ」と語っておびえさせたじーちゃん。
この人物は、木曽義仲の父親、義賢が討たれた際に幼い義仲を助けて木曽にかくまった人だったりする。
今話の北陸遠征に参加しており、老齢もあって最後の戦と決めており若々しく戦いたいと髪を黒く染めて参陣。
倶利伽羅峠で大敗した後、敗走する味方を逃がすために踏みとどまって戦い、維盛の錦の直垂を着用し自分が将であると敵兵をおびきよせ、討ちとられる。(篠原の戦い)
「名乗りをあげない変な武将がいた」と報告を受けた義仲は首実検を行い、斎藤実盛に似ているが髪が若いと不思議に思って首を洗わせると白髪となり実盛だと判明。
自分は命の恩人を討ってしまったのかと義仲は泣き崩れた。
この顛末は平家物語でも一章をあてて語られ、また能「実盛」をはじめ歌舞伎、浄瑠璃の題材にもされ後の世に語りつがれた。
江戸時代には、松尾芭蕉が保存されていた実盛の兜を見て「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」と俳句を詠んでいる。
相変わらず一人爆撃でここも完全に過疎ったな
お前はちゃんと見に来てるじゃんw
アニメの内容について語るんじゃなくて、語る人について語るのはやめろっての
みっともない
この様な方を奢る人と言いますね……まあこんな方が呟きで炎上させるたわけ者なんだよね。
平常運転やろ別に
ここで100とかコメント数つくなんてちょい前のひぐらしくらいじゃないか?
倶利伽羅峠の描写がスローモーション多様でちょっと残念だったけど
BDの発売延期ってここらへんを作り直す為かなとか少し期待。
負けイメージの維盛も墨俣川の戦いでは勝ってるんだね。どんな活躍したのか見たかった。夜の戦いでよく負けてるけどお父さんの重盛が灯篭で闇を恐れることになってたし親子で闇属性が苦手なのかもしれない
ってか、維盛はそんな負け戦ばっかしてたわけじゃない
なんか維盛が弱いから大きな戦で負けたことにされてるけど
最終的に負けたのと、光源氏の再来と謡われたほどの美貌がそういうキャラにピッタリなんだろうけども
さんざん大貴族の権威にすがってのんべんだらりとした生活を堪能しておいて
いざホストの家がやばくなったら、相手のほうから出ていくよう促されるんだから
ほんと主人公様にとって都合のいい世界よね
さすがまーん監督&脚本って感じ
鎌倉時代の琵琶法師が引き語りした平家と源家の物語は創作話。
原作の第一稿が宮内庁に保管されている。
そこには鞍馬山のカラス天狗と義経は出て来るが壇ノ浦だのそんな話は出てこない。
何度も何度も引き語りしている間にすっかり飽きられて新エピソードを追加していく。
平家の末裔は普通に京都に住んでる。
ええと、何の話をしてるのかな?
「原作の第一稿」って、平家物語は琵琶法師が語ったものをまとめたもの、書物としてまとめられたものなど色々あるんだけど、そのうちのどれ?
そもそもそんなものがあるなら、平家物語の成立について議論がなされるわけないのに
何言ってるの?
平家の末裔は……そりゃ生き残った人だっているんだからその子孫がいても何の不思議もないわな、何が言いたいんだ?
同じ敗北でも、富士川は平家が負けたという評判が広まっただけで、平家の戦力そのものは大してダメージを受けておらず、だからこそその後の墨俣川はじめあちこちの戦いでは勝ってるんだけど
今回の倶利伽羅峠(砺波山)の戦いは、平家軍の中核を成していた侍大将(現場のベテラン)が多数討ちとられてしまったので
平家の軍事能力が壊滅し、以後はもうこれまでのように大軍を運用できなくなってしまう、致命的な大敗だったんだよな
いわば、富士川は三国志でいう赤壁の戦いみたいなもので(曹操は負けたけど曹操軍の有力武将は誰も戦死してないし魏の勢力も落ちてない、実際は疫病蔓延で撤退しただけと言われている)
倶利伽羅峠は、夷陵の戦いのようなもの(劉備の配下、文官武官が多数戦死あるいは降伏して蜀の戦力激減、のちに孔明が過労死する遠因ともいえる)
それにしてもびわ、本当に「まるで成長していない・・・」(肉体的に)
ところであの禿(かむろ)たち、今はもういい大人だろうけど、今頃どうしているのだろう・・・禿やってたなら京に残ればリンチ間違いなしだから、都落ちに付き従っただろうなあ
実は「平家物語」そのものに、その後の彼らがちょっとだけ出てくる
義経が、兄頼朝と袂を分かち、罪人扱いされて隠れひそんでいる時に
京の隠れ家で「街の様子がおかしいので、『禿をやっていた者たちを数人召し抱えていた』中から数人偵察に出した」ということが書いてあったりする
平家全盛期にブイブイいわせていた(死語)彼らは、別に平家西国落ちに同行したりはしなかったらしい
うらびれるじゃなくて
荒ぶれる(うらぶれる)じゃないの?
ご指摘ありがとうございます。タイトル修正しておきます。