TVアニメ「#平家物語」
第七話「清盛、死す」
フジテレビ「+Ultra」にてまもなく24:55〜放送
ほか各局でも順次放送
憚りながらお耳 拝借
伝える栄華と 没落
地獄極楽 辛く 甘く
鐘の声 響き 儚く
物事と言うのは 常々
上 下 裏 表
変化をするのは 常
ただただ何もかも もう夢
元祖ゲートボール。
びわの変顔がまるちゃんになったり、しんちゃんになったりw
高倉上皇様、結局パパに反発してただけだったんかい!!素直にデレておきなさいな。
意外と可愛めな牛頭馬頭。
資盛ぼん。愉快な少年時代ももうおしまいか…。
疑惑の宿り木。
7話
“大きな椿”が落ちる演出で始まる冒頭はサブタイ”清盛の死”を暗示。
ラストで落ちた”雪椿”の花言葉は「変わらぬ愛」。安徳天皇の崩御を表しながらも、徳子が彼を想い続けることを象徴しているようだ。
椿に始まり椿に終わる演出、それは同じ表現でも違う”主役”を映す。構成が本当に綺麗。
資盛・・・ここにきて不器用な優しさ見せてくれるやん。そして徳子様もはや生きた菩薩じゃん・・・。生き残ったものの先それぞれだったなあ。無限の泥の中に引きずり込まれる徳子、それでも安徳天皇を守り母としても女人としても美しく気高い。
7話感想
下手へと吹く不穏な風はそのまま南都焼き討ちという平家衰退へ大きく関わるものへと繋がる
そんな平家衰退の中、世は苦しいだけじゃない祈りの報いを経て変わる徳子
望まぬ運命でもその中で幸福でありたいと願う”祈り”
それを”今様”と触れる手で重ねて伝う徳子の描きが素晴らしい
“あつち死に”
無間地獄に堕ちる清盛。
意味不明な灼熱。誇張かと思いきや原作通りという。
野望の為に得るものを数え、失っていくものには目もくれなかった清盛が最期に娘の徳子を案ずる描きで印象が変わる
情が乾き切ってたと思っていたけど落ちる沙羅双樹に滴る雫に清盛の人間らしさをみた
「#平家物語」7話、源氏の軍勢を前に戦わずして潰走した平家軍。畳みかけるように興福寺が叛乱を起こす。鎮圧に手こずり東大寺まで焼け落ちる惨事を招く。木曽義仲の挙兵が伝えられたころ、清盛が原因不明の高熱を発しほどなく死ぬ。衰運は誰の目にも明らかで、びわも館を追い出される
7話
清盛の考えにも反対する徳子の覚悟が勇ましく重盛に似たようなところがあった。燃える、無限地獄といったことに恐ろしさを感じる回でもあったが、資盛のびわを想う優しさや前のように兄弟達と楽しい瞬間を過ごす日々はなくなっていくのかと考えると目頭が熱くなる。
コメント
資盛くん、この作品でいいキャラになったな
さらりとやってるけど、場面の切り替えと時間経過を連動させる見せ方、めっちゃ上手いよね
凡庸な演出がやると、同じ建物映したまま気候を変えて「ほら春が来ましたよー」みたいに露骨に見せてくるんだけど
清盛の死ぬ瞬間の「ガクッ」みたいなのも見せず、遺言から速攻散骨へ飛ぶのは見事
びわが出ていく時も、屋敷を出るびわじゃなく橋の上(境界線)にいるびわを描くあたりもほんと名人芸
派手に動かすばかりが神作画じゃない、静かに巧みに見せる、こういう上手さはもっとみんな気づいてほしい
7話補足。
・今回は1181年の冬から1182年の春にかけての時期。
・興福寺に使者として赴いた「兼康かねやす」は「瀬尾兼康(妹尾せのお、とも)」。
保元の乱の頃から平家方の武将として活躍しているベテラン。武器を持たずに行けと言われて使者の首を落とされたというのでこの人もやられたように見えるが、「原作」でもこの人物は逃げ戻ってきている。
もう出てこないだろうから先の話をすると、木曽義仲討伐軍に参加、倶利伽羅峠の戦いで敗れ捕らえられる。しかし監視役を殺して脱走、自領で兵2000を集め義仲に反抗するも寄せ集め兵が早々に逃げ出し敗北、自分も逃げようとしたが嫡子(デブでまともに動けなかった)を助けに戻りそのまま戦死。その死は義仲に惜しまれた。
補足続き。
・平重衡。
「原作」では南都焼討を気に病んでるように描かれてるが、実際はこの後も各地の戦いに出向いており全然気にしてない。
・南都焼討。
興福寺は藤原氏の氏寺で、東大寺は天皇家が寄進している国家鎮護の寺。
5話で重衡が園城寺を焼いてしまった経験から今話では火の使用をためらっているが、これも実際は、まず重衡が北へ向かい園城寺を攻めて焼いて、それにより南都が蜂起、続いて重衡が南下し興福寺を攻めるという流れであり、最初から放火は戦術のひとつとして計画されていたらしい文献もある。
焼かれた東大寺が復興するまでこの後50年ほどかかった。興福寺も数十年かかっている。
・木曽義仲。
頼朝の従弟ではあるが、源氏は一族で殺し合ってるので全然仲良くない。(頼朝は自分の娘と義仲の息子をくっつけ取りこもうとしたが……)
作中で言っていた通り、頼朝のとーちゃん義朝が、初陣でぶっ殺したのが義仲の父義賢。その際まだ赤ん坊の彼を助けてくれたのが前回出たいらんこと言いのじいさん斉藤実盛。実盛が彼を木曽氏に預けたので「木曽義仲」。
・徳子を後白河法皇の後宮に入れる件。
作中では清盛たちだけの内々の話として語られ徳子が強い意志を示すいいシーンになっていたが、実際は調整のために周囲にも打診されており、九条兼実は日記で「およそ言語の及ぶ所にあらざるものなり」とあきれはてている。また徳子が自ら髪を切ろうとして抗議したというのもこの日記に記されている。
ちなみに後白河法皇本人から断られた。
・御子姫
徳子の代わりに後白河法皇に押しつけられた子。清盛の七女。
当然法皇は相手にしなかったが……姫付きの女房に手をつけている。お盛んである。
毬杖(ぎっちょう)は木製の槌をつけた木製の杖で毬を突く平安時代児童の遊戯で庶民にも普及し江戸時代になると正月儀式として残り、文献化したのは1913年に発行された『小学校遊戯の理論乃実際』、著作者の一人である可児 徳(かに いさお)は坪井 玄道(日本初の体育教師でもある)と共に日本にドッジボールを普及させ、女性に運動を普及させた方でもあり2019年大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』にも登場している。
うぁ、描写が巧い……湖面に落ちた椿を“跳ねた首”に見立てたか。ここで戦上手の重盛を失っていた事で色々と不運が、それに寺を焼き討ちして当時の武将は気が気じゃないので……。
清盛の原因不明の高熱は冷水がお湯になったと言う文献があり作中はコレが再現されている、が病状の記録から大陸から伝来した“マラリア(複数の種類がある)”とも言われている。これは現在でも結核、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)と並ぶ世界三大感染症となっておりWHOでは4月25日を全世界マラリアデーとして制定している。
ここでびわを縁を切ったのは今後の事を察したのか?
>悲しいくらいの平家は中軸の人がいなくなり、東の源氏はどんどん味方が増え勢いを増していく。
そんな事もない
源平の戦いは結果が平家の滅亡だっただけで、平家にも優秀な武将は何人もいたし、平家が優勢だった時期も結構ある
そもそも、頼朝の下に集まってる東国武士は「武家政権を作って正当な利益を貰う」という一心で集まっていて、源氏はその旗頭として担がれてる面が大きい
これを単純に味方と言って良いか大いに疑問で、一門の結束が固い平家とは真逆
頼朝はそんな自分の立場をよく理解して立ち回ったけど、義仲や義経はその辺まるで分かってなかったので武士たちの支持を失っていったわけで
更に言えば源氏を滅ぼした北条家も長年の驕りにより衰退、(ここら辺は『逃げ上手の若君 (松井 優征 作 週刊少年ジャンプ連載中)』を見て貰えると理解出来る)し、室町幕府を開いた足利家もまた織田信長により滅ぼされる、最もスマートに幕府が終焉したのが江戸幕府だけさ。これは外国からの侵略を防ぐ為に穏便に事を進めた面々に感謝だな。
徳子「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。望みすぎて不幸になった者たちを多く見て参りました。」
これほんと若者時代を全て捧げて夢に本気で挑んで敗れて10年以上経った今心から実感する。この台詞って原作に元ネタある?古典で細かな心情描写が入ってるの少ないしアニメでの創作だとは思うが良い言葉だ。
完全に創作。
原典の平家物語にも、古川日出男の「原作」にもない。(古川版は原典を今の日本語に直したもので「読みやすくするための解説」「描写の追加」はたっぷり入ってるけど原典にないセリフを言わせるようなことはしていない)
無門と書く時間が無く、無だけ書いて慌ててやってきた牛魔人に労いを…