



















確かに神が喋らない真理がわからないからこそ探求できる。それが幸福かもしれないな。全てがわかってしまったら生きている意味なんてなくなってしまう

いままで『神のご加護を』というセリフは権力の弾圧として使われてきたセリフだが最後には主人公の悩みや過去から解放するセリフに変わるのが鳥肌モン







アルベルトゥス・デ・ブルゼヴォAlbertus de Brudzewo、1445年頃カリシュ近郊ブルゼヴォ生 – 1497年ヴィリニュス没)はポーランドの天文学者、数学者、哲学者、文学者、外交官





かくしてチ。の物語を通じて架空のキャラクターたちが追い求めてきた地動説は、現実に繋がった。『?』は今もなお現実の人間たちの知を求める原動力となっている…的な?






疑念と信念。 人間は、矛盾を、混乱を、曖昧を受け入れられる。 なら一体、何を捧げればこの世の全てを知れる──? チ。-地球の運動について- この作品に触れる事が出来てよかった。アニメ化してくれたNHKには感謝しかない プラネタリウムで満点の星空と星座に会いたくなった。

TVアニメ「チ。 ―地球の運動について―」 最終話 ご視聴ありがとうございました。 当方、作画監督、プロップデザインとして携わらせて頂きました。 このような素敵な作品に通して携わることができて光栄に思います。 本当にありがとうございました。


終わってしまった。。。 『?』 ここからアルベルトさん そしてコペルニクスさんへ 地動説の知に 史実に繋がっていくような話 各キャラクターの物語に ハラハラする展開が 凄くおもしろかった!!

私はパスカルの「人間は考える葦である」という言葉が好きなので、「知りたい」と思う気持ちを肯定してくれるこの作品に出会った時に心震えたし本当に嬉しかった。

チ。最終回。 空を見よ。広がる星空は高みと未知の象徴でもある。 最後の主人公のアルベルトの最も平凡めな風貌は 主人公はあなた、のメッセージとも受け取った。

この世界線で出版された本がポトツキさんに宛てられたのなら、この世界線でもひっそりと、どこかでオクジー君たちも地動説に関わりを持ってたりしたのかな 。

P王国からポーランドに表記が変わったのはアルベルト君が歴史上の人物だからだとは思うけどアルベルト・ブルゼフスキが歴史の登場人物になるのは大学に入ってから(それ以前のことはよくわかってない)なのでこの物語の彼はギリギリ「歴史の登場人物ではない」でも通じる

こんなに素晴らしい作品を生み出してくださった魚豊先生も、そしてそれを素晴らしい表現でアニメ化してくださったスタッフの皆様、出演者の皆様も本当にありがとうございました。 半年間、ずっと美しかった。

【この感動を展覧会で】 「チ。 ―地球の運動について― 地球(いわ)が動く」の世界観で地動説を探究できる展覧会が、日本科学未来館で開催中 アニメ主題歌のサカナクション怪獣」にのせて展開される映像も必見です


サカナクション「怪獣」 Music Video プレミア公開のカウントダウンが始まりました。 リアルタイムで一緒にご覧ください! Directed by 田中裕介 📷 @takehiro_goto


【「チ。」最終25話台本プレゼント🌏】 📢第25話スタートを記念して 﨑敦美 サイン入第25話台本を1名様プレゼント🌕 📢公式Xフォロー&このポストをリポストで応募完了🌞 📢期日:3/22(土)23:59迄

コメント
アントニの父司教、異端審問官ノヴァク、傲慢でしかなかった頃のバデーニ、卑屈でしかなかった頃のオクジ―、互いに出会う前までのドゥラカとシュミット、そしてアルベルト父と青年ラファウ。みんな迷いがなかった。
自分を擁護してくれていると思っていた先輩に論文発表者の名前を奪われたかと思えば怖いと思っていた教授が理解してくれたり、拷問をしようとした審問官が命懸けで救ってくれたり、人の中の正と邪をみてきたヨレンタが発した「迷って」がアルベルトにも芽生えての終幕。
自分の全人生を否定しかねない考え方を受け入れたピャスト伯、知性やそれを表現するための文字は一部の選ばれた人間のみで独占すべきという考えをオクジ―の成長をみることで変えていくバデーニ、コインで決めようとするドゥラカ、そしてコインを裏返すシュミット。
迷うこと、立ち止まって時に戻ることの美しさ、大切さを伝えてくれる物語に出会えて、救われた気になる。チ。を知れてよかった。
どうやらアルベルトが若い頃の詳細は歴史上よく分かってなくて、そこに“あったかもしれない歴史”としてこの物語をリンクさせるという魚豊先生の発想が素晴らしかった。フィクションなのにもしかしたらと感じてしまうとても面白い作品でした。
最終章は読者・視聴者に対する問いかけだと思うよ。
実質は3章で終わってる。
「キミ達はちゃんと自分で考えて、そして迷ってますか?」っていう感じだな。
今までに命を懸けて物語を託してきた主人公たちを見て来てるから、
読者・視聴者は無意識に人を動かすのは感動であり現代の科学こそが正しい道だと思ってるけど
迷い、倫理を探すのが大事だってのを読者にしっかり刺さる形で突き付けてきたわけだ。
実は我々は30世紀の人達から見たら所詮は21世紀の人達にすぎないし
きっと彼らから見たらおかしなことを信じててうわぁってなるような事をやってるが
感動を大事にしておっかなびっくりと迷いながら真理にじり寄っていくしかないと
俯瞰でそれを考えてみてほしいっていう事かと。
それが人類とチ。との付き合い方だから…で締めくくったように捉えた。
ラファウ先生は一章の少年とは別人だけどきっとああなってた筈だという象徴。
真理を探究する姿勢ですら一つの信念に過ぎなくて
迷ったりしなくて倫理がないなら人はこうなるという例示であり、
我々現代人だって歴史上の一つの通過点であると相対化された俯瞰の位置へと
読者・視聴者を連れていくそのための舞台装置に過ぎないと解釈した。
あの、命さえも惜しくない情熱を持つラファウ以外のポッと出の者がアルベルトの父親を刺しても説得力を欠くんだよね。
彼は知りたいという欲望を抑えることができない、だから彼である必要があったという訳だ。
初見ではなかなか呑み込めないと思うけどね。
ラスト、凄い駆け足だったけど、原作通りなん?