本当に寺島拓篤さんのザシュニナちゃんは異方なんだけど人間っぽいところもでてきてそれでもやはり掴みどころがない。
素晴らしいです!
これでザシュニナがめっちゃ酔ったら面白いがな。
「酔ってまふぇん、酔ってまふぇんよ! ってかね、水飲んで酔っ払ったってんならおかしいれすけどね、酒のんで酔ってんらからいーじゃないれふか!」とかね。
ザシュニナさん、読書によって「好意」という概念と一緒に「悪意」というものを獲得してしまったのか……?人間からしたらそれは「不穏」としか感じないと思うのだが……えええ。
沙羅花ちゃんの言ってることに賛成だなあ。人類の進化を道路の急カーブに例えるなら、進化のスピードが適正速度なら問題なく曲がりきれるけど、急に進化のスピード上げたら曲がりきれずにクラッシュする。それが人類全体なら尚更慎重になるべきなのに
今回は生放送の演出が結構力入っていましたね。「あれ、俺さっきまで『正解するカド』を見ていたんだよね? 突然謎の特番に変わってしまったぞ」と錯覚して少しパニクってしまったじゃないか。
8話視聴。沙羅花ちゃん回。代々彫金細工の職人だったとはね。職人技もテクノロジーだけど、宇宙の秩序を乱すのが異方のテクノロジーだと沙羅花ちゃんは考えてるのかな。「くり」Tシャツ・・・普段のスーツや制服姿で騙されちゃうケースだね。
正解するカド 第8話観た。サンサをみんなに。この変化が進化的にどう人間を変えてくのか楽しみすぎる。ただ進化としては意外と弱い変化の気も。あとザシュニナさんやたら時間を気にするのが気になるし予告もなんかやばそう
優秀な人間がいかに優秀かわからせる描写は難しい。優秀な交渉官なら自分の服や行動が周囲にどう見えるか、ちゃんと理解しているものではないのかなあ。それはさておき次回も楽しみ。ヤハクィザシュニナがいつキュゥべえ化するかなー
確かにセッテンの行為はメディアを利用したテロ行為だという考えもわかる。でも情報は受け手側に取捨選択の自由がある。そこを発信側に責任転嫁するのはちょっと…てのもある
25億人のユーザーが視聴する中継って、通信網パンクしないかな?総理はかなり心が広い人物だが、全世界映像配信で、真道はさすがに何か思うところがあったようだ。ザシュニナのラストの不敵な微笑!なにを企んでるんだ・・・?
人の尊厳を守るのに女性の外交官が「場所」を指したのは、人を人とたらしめんとするものが「思い出」によって形成されるものであって、それは場所なくしてそこでは体験も思い出も作られないからだよね。異方の技術で世界中が同じになると自分だけのオリジナリティなくなっちゃう。
正解するカド、わりと肯定一辺倒だったザシュニナ側への描き方が変わって、怪しさが強調されたところで次回へ。しかし、次回予告では、沙羅花さんにやや感化された真道へさらに畳み掛けるザシュニナが見れたので安心して来週が待てるw
進藤と徭さんがはじめて交渉官らしく見えた回でした。徭さんはもちろん、進藤にしても交渉らしい交渉はほとんどしてこなかったからなぁ………。まあ進藤の見せ場は来週ですが。
無表情キャラの声音や表情が豊かになってきているのに全くほっこりできず、ひたすら背筋が寒い。次回予告の顔とか人間味がやばい、どうしちゃったのザシュニナくん…
サンサは現状ザシュニナが持ってる一つだけのようだし、彼が帰ってしまえばもう眠らない人間は増えなくなるってことでいいのかな。100年もすれば、寝ない人間はいなくなる。子孫までずっとサンサによる感覚が受け継がれるんなら別だけど。
人類が異方に対面した場合、実際にどうなるのか気になるな。まぁ、アニメ通りにはならなさそうだけどね。
現実だったら一旦視聴は回避だろうなぁ。あとでいつでも見れるのだろう?
でも、twitterとかで画像映像キャプチャ入ってきて共生的に見ることになりそうな気もする
いよいよ佳境へ向かい始めた。
ザシュニナは人類の正解を導くため敢えて出題者に加え悪を演じようとしている?
次回明かされる「四つ目」が関係しているようにも思われるが…
コメント
真道さんは異方によりすぎてたから、
情に訴えて人間側に引き戻しにかかるなんて
交渉官として沙羅花さん、やっぱり有能じゃん。
今回の話は、何気に0話と重なって見えた
ワムと同様にサンサも、エヴェレットの多世界解釈、または、アインシュタインの量子論の方向である隠れた変数理論、アインシュタイン・ローゼンの懸け橋(後のワームホールの考え)、カルツァ・クライン型の余剰次元の話の応用に過ぎないのかな…。
無限に近付く他の宇宙の計算機を繋いで並列計算させるだけなのか?無限の計算領域を手に入れれば、マクスウェルの悪魔も存在出来る。
量子コンピュータの確率を捨てて、P=NPになるのだから、エントロピー増大則を壊せる。
エントロピー増大則を壊せれば、時間概念の存在が怪しくなる(エリック・ヴァーリンデの方向、エントロピック宇宙論から)。
相互作用を考慮しないことでエントロピーは増大し、時間が進む。
物理学でもひも理論を前提に置いてしまうと、迎合により全てのモノは成り立つ、と演繹される。迎合することで人間や社会なる存在に至る以上、時間概念が無くなった瞬間に迎合の意味が無くなり人間も社会も存在しなくなる(ただ、日本にはニンゲンや社会なる概念は江戸時代以前には存在しないが…。ジンカン、世間なる、中身、意味の無い二、三十年越しの迎合でしかない)。
数学は、時間を捨て論理だけを武器に闘い発展する。
迎合することで情に感けることが成る。
特異点に環状に感けることで感情が成る。其の特異点なる個を象徴する存在に到れなければ、人間や社会は意味を失う。時間が存在しないのだから、歴史は完全に意味を無くす。
人として独力で立ち上がらんとする姿を体現する存在で無い限り、人間や社会では死ぬだけか…。
カントのように、迎合したら悪になる、として道徳的にならんと進むか。カントは定言命法にて、神や宗教に迎合するが…。ゲーデルの不完全性定理を越えなければ、迎合から逃れられないし、マクスウェルの悪魔としての量子の識別不可能性を超越した姿を演じられない。
マクスウェルの悪魔を基本とした世間は、パノプティコンでしかないため、日本が一番近いが一番遠い…。
数学者が自ら導き出せない限り証明と観做せないように、自ら試行錯誤して手探りで手に入れた世界しか人は納得できないのだろう(所詮、因果の証明が無ければ、因果な話は何時までも理に到れず、理解は存在せず、曖昧に終始するが…)。
ワム も サンサ も結局は、単なる道具に過ぎない。
それをどの様に”正しく”使うのかを問いかけているのだよな。