8話。リョダリの過去が分かり、同情は出来ないけど理解はできたわ。いや市長、そこはトドメ刺さなきゃダメでしょ結果どうなったよ。子供たちに殺人させただけじゃん。。しかしハードやね。先が明かされてないからファルナの民の扱いが余りに理不尽に感じてしまう
クジラの子らは砂上に歌う 第8話観た。感情。今回はかなりヒント多かった、本作は敵方からしか状況が分からないのでああいう回想はありがたい。しかしこのままだと勝てなさそうなので色々分かったままバッドエンドになってしまう
「クジラの子らは砂上に歌う」7節・8節でエマが歌った「光の唄」は
・メロディーは素朴
・メジャーかマイナーかわからない、浮遊感
・美しさの中にある狂気
・エマとネリの二重唱
以上のことをふまえ制作しようと、イシグロ監督・スタッフの皆様と打ち合わせをしました。
クジラの子らは砂上に歌う 8話。リョダリがとんでもないクソ野郎だと思っていたのに死の間際に見せた過去や心の揺らぎで少し可哀想だなと思った。砂の海に落ちてしまったけど、あれは一度落ちると助からないんだろうか?
クジラの子らは砂上に歌う8話 リョダリはこれで退場?生き延びたと思ったら子供たちに止めを刺されるのは何とも…。そしてスオウはちょっと優しすぎる。リョダリの悲しい過去を知ったとしても彼の手で何人かの仲間は殺されてるわけだし。
『クジラの子らは砂上に歌う』8話。間違いなく重い回です。あと考えさせられます。罪人の子孫もまた変わることなく罪人である。敵の言葉がまさにそんな意味に聞こえて辛いです。でもあれって"異分子だから存在してはいけない"みたいに聞こえてしまって、結局勝手な正義ですよ。
「光の唄」はメロディーの流れの中でしれっと転調をしていたり、拍子が途中で変化したりと、一聴した印象よりもかなり複雑で作り込まれた構成になっています。加隈亜衣さんが美しさと可愛らしさの中に、それ故の怖さを感じる様な、絶妙なバランスの上で素敵に歌い上げ下さいました!
リョダリはある種の特例だから別として帝国の上の方の人間を見てると感情が“ない”というよりは“極めて抑制が効いてる”と形容する方がしっくりくる印象。泥クジラに来たリコスが急速に“人間らしく”なったのを見てもヌースは本当に感情を“食べる”のか、ちょっと疑問に思ったり。
リョダリ以外は基本的に感情は存在しないんだけど加虐心だけは流石に感じられてしまうんだよな、一応感情ではなく理屈でクジラの住民を見下しているのが加虐心に見えてるだけだということで納得してるけど
来週のクジ砂の放送日を迎えるにあたりここらでもう一度思い出して頂きたいのは、
「ニビはオウニが泣いた所を一度も見たことがない」ということです
リョダリみたいなキャラが子供に殺されるって、作品としてすごい良いなって…
オウニとか団長みたいなゴツいのにやられるんじゃなくて、何も分かってない子供にっていう…
(語彙力追いつかないので私の言いたいこと察してください)
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